伊勢型紙について

伊勢型紙とは

柿渋和紙に彫刻した着物の文様を染める原版のことで、江戸時代に紀州藩の保護を受けて飛躍的な発展を遂げたため、産地に由来し「伊勢型紙」と呼ばれています。
重要無形文化財に指定されており、美術品としても高い評価を受けています。

昭和27年 無形文化財に指定
昭和30年 重要無形文化財保護者が6名指定
平成5年  伊勢型紙技術保存会が重要無形文化財団体に指定

kioi

リリカラでは、美術工芸品としての評価も高く、江戸時代から昭和初期にかけての5000枚にのぼる型紙コレクションを所蔵している「紀尾井アートギャラリー 江戸の伊勢型紙美術館」と取り組んでおります。これらは江戸日本橋の老舗染物問屋で使用されていたもので、この中から選りすぐった意匠をインテリアに提案させていただいています。プロパー品の壁紙からデジタルプリント他、様々な空間への提案をお手伝いさせていただいております。

江戸後期に最も盛んになった『伊勢型紙』は、日本を代表する装飾文様として膨大な量を蓄積すると共に、『江戸町人の粋』なスタイルを作りました。欧州にも多大な影響を与えた伊勢型紙文様。 「ジャポニズム」は、19世紀後半からの欧州におけるアートシーンへ多大な影響を及ぼした一つのムーブメントです。「浮世絵版画」や「型紙」など、欧州が日本の文化を取り込んだ歴史的事実を踏まえ、改めて日本的表現を発信する時期に来ているようです。シンプルでミニマムで遊び心も持った染型の意匠は今も尚モダンに、グローバルに通用する普遍性を持っています。

リリカラでは、この世界に誇れる日本の文化財産を、建築・インテリアに向けて、《Kioi》としてご提案させていただくことを準備しております。

伊勢型紙の歴史

延歴(728〜805) 伊勢に型屋が4人存在
元和5年(1619) 紀州藩主の徳川靖宣が、紀州藩の産業として保護育成。
それ以降、飛躍的に発展
宝暦3年(1753) 寺屋村、白子村、江島領に型屋の株仲間組織として139人が登録。 江戸時代、型紙の99%が、伊勢白子にて生産

伊勢型紙資料館:旧寺尾家(左)/鑑札(右)
紀尾井アートギャラリー

日本で唯一の伊勢壁紙美術館

伊勢型紙を育んだ紀州藩の江戸上屋敷の跡地に立地。
日本の文様を代表する伊勢型紙の文化資産を保存・活用し、新しい世代にも継承していきます。

■住  所 東京都千代田区紀尾井町3-32
■建築設計 芦原 太郎
■U R L  http://www.kioi.jp

紀尾井アートギャラリー
型紙の製法 4つの彫刻の技

突彫りは、もっとも古くから発達した技法で、小紋や中型を彫るのに適している。
突彫りに使用される小刀は、幅約3ミリ、厚さ約1ミリ、長さ約15センチの鋼。

錐彫りは、小さな丸の連続によって図柄が作られる、伊勢型紙の代表的な技法。
「鮫」「行儀」「通し」と呼ばれる柄は、最も格調が高く「錐小紋三役」と呼ばれる。
その中でも「極印」と称されるものは、3センチに900個以上の丸の穴が開けられている。

縞彫りは、単調に見えるが、線がわずかでにずれても柄に微妙な狂いが生じる難しさを持った技法である。縞柄には、3センチに彫られる縞筋の本数によって名前が付けられている。(等分縞:5本、大名縞:10本、万筋:12本、毛万:20本など)


道具彫りは、刃物自体が桜などの花弁のように一つの文様に作られており、
2枚の刃型を合わせて合い取りする。職人は、図柄に合わせた道具作りから始める。
壁紙がヨーロッパに与えた影響
kioi gallery
文様の持つ意味
裃に使われた各藩の定め紋
お召し十
徳川家の定め紋
極々鮫
紀州徳川家の定め紋
武田菱
甲府武田家の定め紋
吉祥の意味を持つ文様
七宝文
四方に文様が連続し広がっていることから吉祥とされ、家庭円満や繁栄を表す
麻の葉
麻はすくすく真っ直ぐ延びることから、赤ちゃんの成長を願う意味がある
ふくら雀
「福来雀」ともいいます。「雀が福を連れてくる」という意味が込められている
洒落や言葉遊びのある文様
とんぼ
「勝ち虫」の別名を持つ
とんぼ
扇子
末広がりの扇子
蓑亀
万年を生きる蓑亀から、
長寿を表す
当時の文化や風俗を反映
六弥太格子
歌舞伎役者の八代目団十 郎が「一谷武者絵土産」の 岡部六弥太に扮した裃に この柄を使用
雪華文様
シーボルトが顕微鏡を日本 で初めて紹介し、雪の結晶 をが大流行。夏の涼の柄
日本橋通町
日本の中心地、日本橋。 武士や町人が行き交う当 時の反映を想わす
日本の代表的な文様とその由来

青海波は、書いて字のごとく、青い海原の大きな波を表現している。日本だけでなく、エジプトやペルシャなど、世界各地で見られる文様。日本でも古くから着物の柄として用いられたが、実際に水を表現する文様として登場するのは、鎌倉時代の古瀬戸瓶子からとなっている。名前は、雅楽の舞曲からつけられたとされており、源氏物語でも、源氏が頭中将と「青海波」を舞う場面が描かれている。


立涌は、水蒸気がゆらゆらと立ち涌いて登っていく様子を文様にしたものとされている。平安時代以降には、波形の曲線がふくらんだところに、雲や波、藤の花などを入れて、雲立涌、波立涌、藤立涌といった文様がつけられた。これらは有職文様として、能の装束などにも用いられている。ほかにも、ブドウの房を入れたもの、立涌がきれぎれになって模様になっているものなど様々なバリエーションがある。


正六角形の幾何学の文様。亀の甲羅のカタチに似ていることから、この名前が付けられた。もともとのルーツは、西アジアに起こり、中国や朝鮮から日本に伝わったとされている。これも有職文様とされており、おめでたい文様の代表格。組みあわせがしやすいからか、様々な変形の亀甲文様がある。正六角形が連続模様になっているもの、亀甲の中に花や動物、文字などが入ったものなど。


竹カゴの規則正しい編み目を文様にしたもの。葦や柳、カキツバタや椿、水鳥など、水辺のものとの組み合わせが多く見られる。また、編み目のひとつを紋章化した正三角形を上下に重ねたカタチは、邪を払う力があるとされ、魔よけのしるしに使われることもあった。陰陽道などの「結界」の紋章に通じるパターンを孕んでいる。


ふたつの平行線が重なってできた菱形が基本の文様。縄文時代の土器に、すでに文様として描かれているほど、古くから用いられている。菱形が連続して重なるのを入子菱、四つの菱形の組みあわせでつくられる割菱、唐花で構成される花菱(松本幸四郎や市川染五郎の家紋である)など、多くのバリエーションがある。また、在原業平の業平菱は雅な意味を持つとされている。


和算で用いられた計算の道具で算木文(さんきもん)というものがあり、それを崩したようなカタチをしていることから、「算崩し」「算木崩し」と呼ばれていた。次第に、三本ずつ縦横に石畳のように配列したので、「三崩し」、四本のものは「四崩し」と呼ぶようになった。また、網代に組んだ模様とも似ているため、「網代組み」とか「網代文様」とよばれることもあるが、同じ文様のこと。


小さな点をすきまなく構成した文様で、大小の点による「霰(あられ)文」、絞り染めしたポイントが点となる「鹿子文」、鮫の皮のように細かい点を並べた「鮫小紋」ほかにも「行儀小紋」など、バリエーション豊富な文様。ちなみに鮫小紋は、名前こそ小紋の名前がつくが、遠くから見れば無地に近い着物であることから、小紋ではなく格式の高い無地の着物の扱いになる。一枚持っているとオールマイティーに使えて便利。


日本に縦縞がやってきたのは、南蛮貿易によって南方諸島の縦縞の木綿が持ち込まれた時がはじめて。それまでの日本の生地には縦縞はほとんど見当たらず、横縞が「筋」と呼ばれて使われているくらいであった。江戸時代の文化・文政の頃に、単純で明快な縦縞の柄が人気となり、江戸の粋を表現する代表文様となった。南方諸島から伝わったので当初は「島」の文字が使われていたが、その後「縞」の字が当てられるようになった。


正三角形か二等辺三角形を重ねたもの。単純明解で描きやすいからか、世界各地で見られる伝統文様である。日本でも、古くは古墳の壁画などにも描かれている。魚のうろこに似ていることから、この名前が付けられた。着物や陶器などでは、地紋としてよく用いられる。また能や歌舞伎では、鬼女やヘビの化身の衣装に使われている


正方形を交互に敷き詰めた入替の文様。市松とも石畳とも呼ばれる。これも単純な構図なので古くから用いられ、工芸品や染織品、桂離宮の襖のような室内装飾にも用いられている。市松の名前は、江戸時代の歌舞伎役者・佐野川市松が愛用したから。視点を変えれば、ギンガムチェックである。もちろんヨーロッパでも昔から色々なものに用いられてきた伝統の文様。洋服にも使われている。

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